トランスパーソナル心理学・フランクル心理学よりマインドセットを学ぶ

心理学・哲学

 

トランスパーソナル心理学

トランスパーソナル心理学ってご存知でしょうか?
私自身、心理学自体を深く学んだことがありません。ユングとかフロイトなどの名前を知っている程度です。最近ではアドラー心理学の「嫌われる勇気」等が注目を浴びていますね。いずれにしても、名前を知っている程度です。
トランスパーソナル心理学とは?

(以下ウィキペディアより抜粋)

 トランスパーソナル心理学(トランスパーソナルしんりがく)とは、1960年代に展開しはじめた心理学の新しい潮流で、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く心理学の分野。先に人間性心理学を提唱した心理学者アブラハム・マズローは、晩年にその自己実現の理論の最上位に自己超越を置いていた。1969年にマズローと共に、スタニフラフ・グロフがアメリカ合衆国でトランスパーソナル心理学会を設立。

いつも分からないことがあれば、大変お世話になっているウィキペディアさん、どうも有難うございます。
しかし、申し訳ないのですが、不勉強な私には何やら難しそうな内容です。
抜粋以外にも沢山説明があるのですが、読めば読むほど深みにハマってしまいそうなのでこれぐらいで止めておきます。というか・・・・ワカリマセン(≧◇≦)
要は、心理学者のマズローが、これまでの心理学とは違ったものとして、新しくトランスパーソナル心理学を、位置づけたという事らしいです。
(ザックリ言い過ぎですね。苦笑)

日頃、私たちは身の回りで起こる出来事を個別のものとして、分離して捉える傾向があります。トランスパーソナル心理学では、一つ一つの出来事を別のものとして捉えるのではなく、すべてが関係ないように見えて実は繋がっているのだと捉えます。
お釈迦様の説いた縁起の思想と似ているかも知れません。
トランスとは「意識」とか「超える」をパーソナルは「私的な」とか「個人」を意味します。「個人・自我を超越する心理学」そう考えて良いと思います。
解釈はあくまで自己流ですのでご了承願います。
この心理学では、自分に起こるどんな逆境に見える様な出来事も、そこには必ず「何かの意味がある」と考え、その意味に気づけば、人生に必要な変化が生じるのだと言っています。また、人は求めれば求めるほど不幸になり、幸福のパラドックス(逆説)に陥ります。
大いなる宇宙の真理の中では、人が人生に生きる意味を求めるのではなく、人生の方から、常にそれを足元に届けてくれていて、それに気付き、答えていくことが、人生だと考えるそうです。
常に、自分のすべきことは、自分の傍にあって、ただ、それに気付いていないだけでそれに気付けば、人生が意味のあるものに、変化していくと言っています。

フランクル心理学

自己啓発を学んでいると、心理学を避けては通れません。

先にご案内した「トランスパーソナル心理学」もそうなのですが、興味があったので、少し調べて見ました。
トランスパーソナル心理学は、オーストリアの精神科医V・E・フランクルが説いたフランクル心理学や、「嫌われる勇気」で人気となったアドラー心理学などとも、広義で解釈するならば関係が深い心理学のようですが、アドラーの説いた心理学は、個人の欲望や願望である「~したい・~やりたい」を主体として「自分が何をすべきか?」を考えるのに対し、フランクル心理学やトランスパーソナル心理学は、個人が持つ「意味・使命」に目を向け、「自分に何ができるのか?」を考えるという点で、少し観点が違った心理学と言えそうです。
フランクルはアドラーの弟子だった関係もあり、考え方も近かったようなのですが、フランクルの兄貴分が謀反を起こしたことが原因で、後にアドラー派を破門になっています。フランク心理学は、そのような経緯の中で構築されていったようです。
ユダヤ人であったフランクルは、ナチス強制収容所に捕虜として収監されていました。極限状況から生還した自身の体験を書いた「夜と霧」は、多くの人々の心に、影響を及ぼすこととなりました。「絶対的な人生肯定とは何か」を、フランクル自身の苦悩や体験をもとに書かれたこの作品は、読者の魂に強く響くメッセージを伝えています。

私たちは、懸命に生きて来たはずなのに、無性に不安になったり、虚しく思えたり、何もかも投げ出したくなったりすることがあります。そして「私は何のために生きているのか?」という人生の意味や目的を知りたくなります。
ですがフランクルは、人生に意味を求めるのではなく、人生が、私たちに生きる意味を問うているというのです。言い換えれば、「人生」とは自分を超越した「宇宙・神」と解釈してもいいかと思います。
人生の方から私たちに何ができるのか?を問いかけている。どんな時にも、「人生には意味がある」とフランクルは言っています。自身に起る出来事は、すべて「なすべき意味」があり「実現すべき意味」があって、それを発見、実現されるのを待っているといいます。
自分から生きる意味など探さなくとも、宇宙や神が私たちに、常にその意味を送り続けているのである。私たちは、それに答えて生きる。その事こそが「生きる意味である」と言っています。
自分に降りかかった災いにおいてでも、意味を見出すことで未来を切り開いていく。フランクル自身が、収容所体験者であっただけに、説得力があります。
人生に行き詰まったとき、悩んだときには、この心理学の考え方は、心を癒されるものとなりそうです。

罰への欲求

人は幸せを望んでいながら、いざその幸せが叶う直前になると、それをブロックしてしまう行動をとることがあります。
これを心理学用語で「罰への欲求」と言います。
例えば「100万円が欲しい」と望んで行動し、実際100万円を目の前にしたとき、「これを自分が受け取っていいのか?」「これを受け取ったら、何か悪いことがおこるのでは?」などと言う感情が沸き上がり、素直に受け取れなくなるのです。
良いことがあっても、それを素直に喜べずに、良いことを受け取ると、次は悪いことが起るんじゃないかな?って思う感情のことなんですが、何か分かるような気がします。私も思い返すと、過去にこのような経験をしていたと思います。良いことが起ると、自分にはふさわしくないように思えたり、自分なんかじゃムリだと思ったりして、折角良いことが起っても、それを受け取れずにいたのでは?と思います。
これは物質的なものへの欲求。つまりは、自分の外なる物への欲求から沸き上がる感情ではないかと考えます。受け取るもの自体が、金品だったりする場合、受け取った時点で、次に沸き上がる感情は?と言うと、「お金が減りはしないか?」「盗まれはしないか?」「品物が壊れたりはしないか?」次々と恐怖と不安の感情が沸き上がって来ます。金品がいけないのではありません。お金も品物も価値あるものです。
心の主軸がどこにあるか?が大事だという事です。お金や物品の価値を認めたうえで、それに振り回されない精神が重要です。

自分の見栄や欲望だけに、意識が行っていると、成金のような嫌味な人間になってしまいます。何時までも、常に金品を追い求め、恐怖から逃れられない。そんな不幸が付きまとうことになりかねません。
何時でも、目の前に良いことが現れたら、それを素直に受け取れる準備をしておきたいものです。そのためにも、日々心の学びを続けて、きちんとした物の見方、精神を養う必要がありますね。
そうすれば、私たちは、いつでもすぐに幸せになれるんです。

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