あきらめることもまた大事な考え方

私達の周りには、いろいろな心配事があります。

地震や台風といった自然災害に対する不安・・・

病気やケガなどの健康に対する不安・・・

備えあれば憂いなしと、保険を掛けることも必要でしょう。

 

だけど、いつ起こるか分からない

こうした不安に

常時心を奪われていては、人はノイローゼになってしまいます。

時に、人はあきらめるといった気持ちも必要かもしれません。

 

こんなお話があります。

友人から借金をしていて、明日が返済の期日なのですが

返すお金がなく困っている人がいました。

明日友人に何と言って、返済を伸ばしてもらおうか?

その人は夜も心配で眠れなかったそうです。

そんな彼に妻が言ったそうです。

「あなたが、お金が返せないと言うのなら、

心配で眠れないのは、友人の方じゃない?」

その一言で、その人はぐっすり眠れたそうです。

 

これは冗談でも、ちょっと酷いと思わるかも知れません。

しかし、実際にはその通りです。

心配しても、どうにもならないことで

眠れないほど悩んだところで、

どうしようもないのです。

いっそ諦めて、ぐっすり眠る方が

身体にも心にもいいこともあるのです。

 

お金を返さなくてもいいと言うのではありません。

明日返すのが無理ならば、

先に延ばしてもらうことも可能かもしれません。

 

まだ起きてないことを

あれこれ不安に悩んでも仕方のないことです。

現実的に無理なことは

さっさと無理だと諦めて

いつまでも、そこに焦点を当てて

気を病んでも仕方ないという事です。

 

ものごとの本質を明らかにするために

必要なことは

場合によっては、この「諦め」によって

もたらされることもあるかも知れません。

 

神のみぞ知る・・・は「わかない」ことである

また人は、努力をすれば

その努力は、報われなければならないと考えます。

一生懸命に努力して、失敗したとき

それを天命とは、感じることが出来ません。

どこかに間違いがあったと感じます。

 

神のみぞ知る・・・

これは「わからない」と言う意味です。

 

「人事を尽くして天命を待つ」

このような言葉がありますが、

これは、努力した結果が必ず成功すると

保証する意味ではありません。

 

しかしながら、多くの人は

この言葉を、何かしら

「努力は報われる」と言う意味に捉えがちです。

 

人事を尽くせば天命が変わるか?

それこそ神のみぞ知ることである。

 

人の努力と神の意志は無関係です。

全てをゆだねるとは、そういう事です。

努力をしたとか、しないとか

そういった次元の話ではありません。

 

私達は、信仰に何かしらの

見返りを求めようとします。

ご利益があります様にと願うのです。

私は宗教家ではありません。

どう願おうと、それは勝手です。

しかし、本質は感謝にあります。

そこをはき違えないように

生きていきましょう。

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